アディダス(ADIDAS)の歴史(1990年代まで)

1920年(ドイツ)
アドルフ・ダスラーが室内用トレーニングシューズを製造。

1924年(ドイツ)
ルドルフ・ダスラー(兄)とアドルフ・ダスラー(弟)が「ダスラー兄弟製靴工場」を設立。

1929年(ドイツ)
世界初となる釘止めスタッド付きサッカーシューズを開発。

1931年(ドイツ)
テニスシューズを開発。

1932年7月
アムステルダムオリンピックの開催。
参加選手の約50%がダスラーシューズを着用。

1932年7月
ロサンゼルスオリンピックの開催。
ダスラーシューズを履いたアルトゥール・ヨナートが銅メダルを獲得。

1936年8月
ベルリンオリンピックの開催。
ダスラーシューズを履いたジェシー・オーエンスが4個の金メダルを獲得。

1948年(ドイツ)
アドルフ・ダスラーがヘルツォーゲンアウラハにアディダスを設立。

1949年
三本線(スリーストライプス)の誕生。

1952年7月
ヘルシンキオリンピックの開催。
サッカーの西ドイツ代表選手全員がアディダスのスパイクを着用。

1954年6月
ワールドカップ・スイス大会で西ドイツが初優勝。
西ドイツの選手全員がスクリューインスタッド付きスパイクを着用。

1956年11月
メルボルンオリンピックの開催。
アディダスのシューズを履いた選手が、合計72個のメダルを獲得。

1959年(フランス)
アディダス仏の設立。息子のホルスト・ダスラーが最高責任者に就任。

1960年8月
ローマオリンピックの開催。
参加選手の約75%がアディダスのシューズを着用。

1961年(UK)
アンブロと販売代理店契約。

1960年代初期(ドイツ)
アディダス独がスポーツウェア分野へ進出。
一般販売は無く、チーム向けに供給。

1963年(フランス)
アディダス仏がボール分野へ進出。
白黒の亀甲型サッカーボール「テルスター」を発売。

1964年10月
東京オリンピックの開催。
参加選手の約80%がアディダスのシューズを着用。

1965年(スウェーデン)
Gunnar Lundström ABと販売代理店契約を締結。

1965年(フランス)
アディダス仏が「ハイレット」を発売。(1964年開発開始)

1966年(フランス)
アディダス仏がルコックスポルティフと提携。
この提携によりアディダス仏がスポーツウェア分野へ進出。

1966年7月
ワールドカップ・イングランド大会の開催。
参加選手の約75%がアディダスのスパイクを着用。

1966年(アメリカ)
H.B. Doc Hughes(Hughesco)と販売代理店契約を締結。

1967年(ドイツ)
アキレス腱保護パッドの開発。

1967年(ドイツ)
トレーニングスーツの一般販売の開始。

1967年(日本)
兼松江商と販売代理店契約を締結。

1968年(アメリカ)
Closscoと販売代理店契約を締結。

1968年10月
メキシコシティオリンピックの開催。
アディダスのシューズを履いた選手が、合計92個のメダルを獲得。

1960年代後期(フランス)
アディダス仏がベンテックスを買収。
アディダス仏が自社でアパレル分野へ進出。

1970年(フランス)
アディダス仏がスーパースターを発売。(1969年開発)

1970年5月
ワールドカップ・メキシコ大会の開催。
参加選手の約80%がアディダスのスパイクを着用。
サッカーボール「テルスター」がFIFAワールドカップでの公式試合球に採用。
以後、ワールドカップではアディダス社製のサッカーボールが採用されます。

1970年(日本)
スポーツウェア事業においてデサントと提携。
日本国内におけるアディダスのウェアはデサントが製造・販売。

1972年
トレフォイルマークの登場。

1972年8月
ミュンヘンオリンピックの開催。
アディダスのシューズを履いた選手が、合計93個のメダルを獲得。

1973年(フランス)
アディダス仏が「カントリー」を発売。

1973年12月(オーストラリア)
ダンロップ・オーストラリアと販売代理店契約を締結。
ダンロップ豪は1986年にパシフィックダンロップに社名を変更。

1974年(フランス)
アディダス仏がルコックスポルティフの株式49%を取得。

1974年6月
ワールドカップ・西ドイツ大会で西ドイツが2回目の優勝。
参加選手の約85%がアディダスのスパイクを着用。

1976年7月
モントリオールオリンピックの開催。
アディダスのシューズを履いた選手が、合計205個のメダルを獲得。

1978年2月
アドルフ・ダスラーが全米スポーツ用品協会(NSGA)が主催するスポーツ用品産業殿堂入りを果たす。(アメリカ人以外では初)

1978年6月
ワールドカップ・アルゼンチン大会の開催。
参加選手の約75%がアディダスのスパイクを着用。

1978年9月
アドルフ・ダスラー没。
アディダス独の経営は妻であるカタリーナ・ダスラーが引き継ぐ。

1980年7月
モスクワオリンピックの開催。
参加選手の約90%がアディダスのシューズを着用。

1983年8月
第一回世界陸上ヘルシンキ大会の開催。
金メダリストの約85%がアディダス製のシューズを着用。

1983年末(日本)
兼松江商との販売代理店契約の終了。
1984年から日本国内におけるアディダスの販売はデサントが引き継ぐ。

1984年7月
ロサンゼルスオリンピックの開催。
アディダスのシューズを履いた選手が、合計259個のメダルを獲得。

1984年12月
カタリーナ・ダスラー没。

1985年
アディダス仏のホルスト・ダスラーがアディダス独のトップへ。

1980年代中期(UK)
アンブロとの販売代理店契約の終了。

1986年頃?(アメリカ)
アメリカ国内におけるアディダスの販売代理店4社を買収。
(Hughesco、Vanco、Clossco、Libco)

1986年5月
ワールドカップ・メキシコ大会の開催。
参加選手の約80%がアディダスのスパイクを着用。

1987年4月
ホルスト・ダスラー没。

1988年
トルションシステムの開発。

1990年6月
ワールドカップ・イタリア大会で西ドイツが3回目の優勝。
西ドイツの選手全員がアディダスのスパイクを着用。

1991年
アディダス・エキップメントを発表。

1993年(オーストラリア)
パシフィックダンロップとの販売代理店契約の終了。

1995年(日本)
アディダス・セーフティを発表。

1995年11月(ドイツ)
アディダスがフランクフルト証券取引所に上場。

1998年2月(日本)
アディダス・ジャパン設立。

1998年12月(日本)
デサントとの販売代理店契約の終了。

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